近年、デジタル革命との言葉が飛び交い、生活の中の慣れ親しんだものがデジタル化により変貌しいます。最初はレコードでした。CDの登場であっというまにレコードは廃れてしまいました。しかしそのCDも現在はMP3などのデジタル音源に取って代わられつつあります。同様に2000年以上の歴史を持つ本という媒体がデジタル化の波にもまれています。

 この変化はいってみれば、モノから情報への変化といえましょう。本やレコードは言葉や音楽を伝えるものでした。そしてそれは紙やプラステッィクの円盤という実体のあるモノに直接的に理解できる方法、すなわちアナログ情報として記録されていました。言葉や音楽は直接的に理解できる方法で記した実体あるものを通して複製され流通し、消費されていたのです。しかし、そうした言葉も音楽も情報という観点からは一元化できうるものでした。その変換の約束さえ定義しておけば、統一したデジタル情報として処理しうるということになったのです。言葉、絵画、写真、映画、動画、音楽、音声そうしたもろもろの情報が、2進法で表された一と0の羅列に置き換えうることが分かったのです。もちろん、そうしたデジタル化が急速に広まるにはコンピューターの進歩が重要な役割を果たします。


 さて、われわれ生物は遺伝子というシステムを用いています。生物の体はおもにタンパク質という極めて複雑、多機能な分子を中心に成り立っています。そして、生物の定義でもある恒常性の維持、代謝などの営みもタンパク質分子の触媒作用、いわゆる酵素を媒介として行われています。一方で、生物のもう一つの重要な定義、自己複製、こればかりは一筋縄ではいきません。なぜなら生物の重要な構成要素、タンパク質自身が自己複製できないからです。ではどうしているか。生物は実に巧妙な仕組みを発明しました。それが遺伝子というシステムです。生物を構成する重要な構成要素、タンパク質自体を自己複製するのではなく、別の自己複製可能な分子に設計図としてその情報を保存しておくという方策を編み出したのです。ご承知の通りDNAです。DNAとタンパク質とは物質的には縁もゆかりもない分子です。しかし、ともにタンパク質であればアミノ酸という構成分子、DNAであれば塩基という構成分子が数珠繋ぎにつながった分子です。タンパク質の多様性は20種類あるアミノ酸が何個、どのように並ぶかというその一次元的な構造に一義的に決定されるのです。DNAは構成要素である塩基の種類こそ4種類と少ないですが、その並ぶ順序で情報を保持できます。なにより二重螺旋構造という極めて巧妙な、そして素晴らしく美的な構造を形成することにより情報を保持したまま自己複製が可能となったのです。世代から世代へはDNAだけを受け継いでいき、生命の実行分子、タンパク質はそのつどDNAから新規に、いくらでも作り出せるのです。

 DNAからタンパク質が如何に作り出されるかは、あまたの教科書に記載されているのでここでは省略します。本ブログでも過去に取り上げています(リンク)。ここでは遺伝子というシステムが如何に巧妙で、そして生物を成り立たす上でいかに重要なシステムであったかを再確認していただきたいと思います。


 生命の誕生がどのようなものだったか様々な議論がありますが、重要な論点がこのDNAを基にした遺伝子システムをどう見るかにかかっています。太古の環境にはアミノ酸など有機物が豊富に存在しえたことは明らかになっています。しかし、DNAをともなった遺伝子システムがいきなり誕生するというのはあまりにも途方もない考えです。自己複製という観点からDNAは万能ですが立体構造の多様性に乏しく、生命活動を担う実行分子としての役割は期待できません。一方で、タンパク質は多様性を持ちえますが、自己複製を期待することは難しいでしょう。そしてその2つを結びつける遺伝子システムは一朝一夕に誕生するにはあまりにも複雑すぎます。タンパク質、DNAそしてそれを仲立ちするRNAそうしたものがいきなり現れ有機的に結びつき生命が作られるということはとてもありえそうにありません。
 そこで、登場したのがRNAワールド仮説です。RNAはご承知のようにDNAからタンパク質を作るときに重要な役割を果たす分子です。DNAと近しい分子ですが、DNAにはない構造の多様性に富みます。実際に触媒作用を持つRNAも多数知られています。そもそも遺伝子システムの要、リボソームというタンパク質合成現場自体、リボソームRNA自身が重要な役割を果たしています。リボソームの構成要素はリボソームRNAとリボソームタンパク質ですが、そのおもな機能はリボソームタンパク質ではなくリボソームRNAが担っていることが分かってきています。ご承知のようにタンパク質合成のもう一つの主役はtRNAです。

 生命の初期段階はRNAが主役を果たしていたというのがRNAワールド仮説です。RNAはそれ自身、生命の実行分子として機能し、かつ自身を自己複製する能力を持つ存在だったのです。その後、どのようにタンパク質が登場し、そしてDNAが登場しRNAワールドに組み込まれてきたかはよく分りませんが、おそらくはタンパク質が先だったのでしょう。
 以下はまったくの想像ですが、リボソームRNAとはRNAワールドにおいてはRNAの自己複製を補助していた分子ではなかったのかと推察します。RNAの難点はDNAのような二重螺旋構造をとりにくい事です。というより分子内で塩基同士が対合してしまうのです。逆に言うとそれゆえ多様な立体構造をとりうるともいえます。つまりRNA分子の自己複製はDNAのように二重
螺旋構造を介して行われていたのではなく、リボソームRNAという工場の上で、おそらく3塩基づつ対合、結合させながら進んでいたのではないでしょうか。その名残が現在のtRNAに引き継がれています。元はたんにRNAを自己複製する工場であったリボソームが、そしてtRNAが、アミノ酸を連れ込みタンパク質合成装置に移行していった、ないしは分化していったと想像できます。RNAワールドから、RNA-タンパク質ワールドへの移行です。DNA複製、そして転写には多くのタンパク質の働きが必要です。よってDNAの登場はRNA-タンパク質ワールドが安定に発展していった後のことでしょう。その間はリボソームには2種類あったことでしょう。一つはもともとのRNAの自己複製工場として、もう一つはそれから分化したタンパク質合成工場としてです。

  

 話が脱線しましたが以上は想像を交えた生命の発生初期段階の様子です。何がいいたいかというと、生命の歴史において遺伝子というシステムの発明、完成がその後の生物発展において極めて重要かつ決定的な出来事であったかということです。つまり生命機能を実行しかつ情報を保持し自己複製するという2つの役割をRNAという一つの分子に担わせていた世界から、それぞれに特化したタンパク質とDNAという2つの分子に振り分けたということです。その間はご承知のように遺伝暗号という約束が仲立ちします。


 長い前置きになりましたが、今回の趣旨は、現在進行中のデジタル革命がこの生命初期の起きた遺伝子システムの完成になぞらえることが出来るのではないかということです。レコードやビデオテープ、本などが跋扈していたこれまでの世界はいわばRNAワールド。これらは聞いたり見たり読んだりする人の欲求に直接答える媒体であると共に、その情報を保持し、複製し、広める媒体でもあったのです。いわばRNAワールドにおけるRNA分子です。一方、情報という観点からそれら多様なメディアをデジタル信号に暗号化し自己複製、保存はハードディスク(ないしはそれに準じたもの)で行い、その機能を発揮する、つまり聞いたり見たり読んだりはそれに特化した別の方法に頼るというシステムが出来つつあるのではないか、ということです。


 進化生物学者リチャードドーキンスは人間の文化活動を生物の遺伝子に対してミームと名づけることを提唱しました。この流れで行くとRNAワールドの段階にあったミームが次なる段階に移行中であるといえます。遺伝子情報がDNAという統一した保存システムに収斂し、その後の生物の共通基盤として発展したように、あらゆる文化情報がデジタル情報として収斂し、今後爆発的に発展していくのか興味深く見守りたいと思います。最もその影響を正確に評価するには数百年後、場合によっては数千年後に初めて見えてくるものでしょう。

 こうした観点から見ると面白い共通点が色々指摘できます。DNAという情報保存システムが完成するとそこにはジャンクDNAがたくさん溜め込まれるようになります。今のネット社会を見ると無数のどうでも良い情報にあふれています。このブログなどもその一つかもしれません。これも既に指摘されていることですがコンピューターウイルスなども名前からして生物の遺伝子システムとの類似性から想定できるものです。情報の産生、加工についても共通性が見えてきます。生物が新たな遺伝子を作り出すとき既存の遺伝子の重複が起こりそれが変異して別の遺伝子に生まれ変わることが知られています。デジタル化が進んだ現代ではネット上の情報をコピーして適当にアレンジして別の作品に仕上げるということが可能となってきました。学生のレポートなどかなりの部分がいわゆるコピペでしょう。度が過ぎれば盗作となりますが、新規なアイデアが生み出されるのであれば一概に否定も出来ないものでしょう。アナログの時代から本歌取りなどの伝統もあったのです。音楽などでも楽器をいじらずに直接デジタル信号を加工し音楽を作ることも当たり前になってきました。良い悪いは別に音楽の多様性は増えたでしょう。デジタル化された情報を直接加工することであらゆる楽器、そしてこれまでの楽器ではありえない音を作り出すことが可能となったのです。こうした流れは写真や動画などでも同様です。デジタル化された情報に直接手を加えることで表現の幅は圧倒的に広まったといえます。

 人間が考え行うことなど所詮生物が過去数十億年かけて試行錯誤して築き上げてたシステムの物まね、焼き直しに過ぎないということかもしれません。


 今後こうしたデジタル革命がどうなるのでしょうか。遺伝子システムの完成とその後の生物の発展をを考えれば、圧倒的な多様性が生み出されるでしょう。現在デジタル分野での創作物が圧倒的に増えていることに見て取れます。一方、旧来のレコードや本などは滅びてしまうのでしょうか? これも単純にそうともいえないでしょう。それは遺伝子システムと違い最終産物である本やレコードといったものが単なるデジタルの視覚情報、聴覚信号に置き換えられるものにプラスする価値を含んでいるからです。また、現在もリボソームRNAが活躍しているのと同様に、本はその機能性、易読性などにおいて他の手法、例えば液晶デジタルディスプレイに表示などに比べ圧倒的に優れているからです。もちろんモノとしての存在感という付加価値もあります。

 一方で、遺伝子がすべての生物の共通基盤であるのと違い、ミームのデジタル化は所詮ヒトという一生物種における革命でしかありません。ヒトそのものが地球で生き残れるのか、問題は山積みです。人口爆発、食糧問題、エネルギー問題、環境悪化 などなど。ミームのデジタル化がヒトだけでなく地球生態系全体の維持発展に貢献していくことが求められているでしょう。