生物学の方法論など専門的な話が続きましたので、今回から最近の論文の内容に絡めてトランスポゾンの話をしてみたいと思います。論文はサイエンス(Science Vol. 340, 91-95, 2013)の 「Transposition-Driven Genomic Heterogeneity in the Drosophila Bain」というものです。専門家向けに書かれていて誰にも解るように解説するのは困難ですが、そのエッセンスだけでも伝えられればと思います。まず、論文のバックグランドとして重要な話を書いておきます。
 
 京大の山中博士がiPS細胞を作り出しノーベル賞を取った事は記憶に新しいですが、同時受賞したガードン博士の功績について少し触れてみましょう。ガードン博士はカエルの腸の細胞の核を取出し(核の中に遺伝子が含まれている)、それを未受精卵の核と置き換えて新たなカエルを発生させました。この研究の要点は腸というその代限りの細胞(体細胞といいます)も将来カエル丸ごと一匹を作り出す全ての遺伝情報を持っている事を示した事です。この仕事はなんと50年前、1962年に行なわれたものです。体細胞はもとは全能性(まるごと1個体を作り出す能力)を持った受精卵が分裂して生じますが、分裂、そして特定の機能を持った細胞へと分化した後も受精卵と同じ遺伝情報を維持し続けているのかという疑問は発生学の古くからの問でした。この問にガードン博士は答えを出したのです。山中先生の仕事はガードン博士の成果を受けて体細胞を全能性を持ったiPS細胞に変換させたわけです。iPS細胞のインパクトも重要ですが、その元となったガードン博士の昔の研究にも栄誉を与えたノーベル賞選考委員会は偉いと思います。
 これらの成果は体細胞といえども受精卵と同じ全ての遺伝情報を維持している事を示しています。一方で、この考えに反駁する研究内容で、1987年にノーベル医学生理学賞を受賞したのが日本人研究者、利根川博士です。 

 ヒトなどの高等生物には獲得性免疫といい、外部からの異物を認識しそれを排除するメカニズムが存在します。免疫を司る細胞は多様な異物(抗原といいます)に対して結合する多様な抗体を臨機応変に作り出します。抗体はタンパク質ですからその設計図である遺伝子が存在するはずです。では、どのように予想もできない多様な抗原に対して結合する多様な抗体が作られるのでしょうか? 限りなく多様な抗体を作る遺伝子を予め用意しておくのは数からいって不可能に思えます。この疑問に答えを出したのが利根川博士です。なんと抗体産生細胞では個々の抗原に対してオーダーメードで抗体の遺伝子を遺伝子内のドメインを組換える事により作り出していたのです。実際に抗原と結合する抗体分子上の部位は複数のブロックに分かれています。受精卵の遺伝子にはそのブロック毎に複数の候補と成る配列が用意されています。抗体産生細胞は増殖過程で細胞毎にそれら遺伝子を組換えてブロック毎に数ある配列中から1つだけを選んで繋ぎ変えて1つのユニークな抗体遺伝子を作っています。複数のブロック内の配列をこれまた複数の配列から選びとる事で最終的に作られる変位部位のバリエーションは非常に多様なものに成ります。この場合、抗体産生細胞の抗体遺伝子はもともと受精卵が持っていた遺伝子配列とは異なってくるという事が重要です。そしてこの変化は不可逆的な変化であろうことは容易に想像できます。このことは、免疫細胞という特殊な細胞ではありますが、分化の過程で不可逆的な遺伝情報の変化が起こることを示したいます。

 さらに生物種によっては体細胞では大部分の遺伝子を排除してしまう生物すら存在します。ウマノカイチュウやキノコバエ、カイガラムシなどの一部の昆虫などに見られる染色質(体)削減といわれる現象です。例外のない生物学の法則は存在しないともいわれますが、多様性こそ生物の特徴であり、モデル生物だけ研究すれば十分とは成らないところが生物(学)の難しさでもあり面白さでもあります。
 
 話がそれてきましたが、生物が発生の過程で非常に複雑な構造、機能を作り出す例が免疫系と並んで脳に代表される神経系です。多数の神経細胞が複雑なネットワークをいかにして作り出すのか、そして記憶や思考など高次の脳機能はどのように生み出されるのか? こうした疑問は今も明らかになってません。そうした過程にも遺伝子の再編がなんらかの役割を担っているのではとは誰もが考える事です。また抗体産生の現場では遺伝子の再編と並んで突然変異の上昇も重要である事が判明しています。
 こうしたバックグランドを知った上で今回の論文を読むとまた興味がますと思います。なかなか論文にたどり着きませんが長くなってしまったので続きは次回に。

(2013. 4. 15)