生物学は生物を対象とした学問です。しかし生物の何を知りたいかにより様々な学問分野に分かれていますし、それぞれの分野により、また研究者により対象とする生物も異なってきます。
 例えば有名なメンデルの遺伝の法則というのがあります。メンデルは1884年(日本では明治17年)に亡くなったオーストリアの修道士ですが、当時の修道院では様々な自然科学の研究も行われていました。そしてメンデルはたくさんのエンドウ豆を育てて、その形質が親から子孫にどのように伝わるかを詳細に調べて有名な遺伝の法則を発見したわけです。彼がエンドウ豆を用いて発見した遺伝の法則はエンドウ豆に限らず生物一般に当てはまる法則であったからこそ、現在までもその名をとどめているわけです。エンドウ豆ではなくて他の生物を用いても同じ法則に行き着いたかもしれませんが、メンデルはエンドウ豆を用いたし、それを用いたからこそ遺伝の法則に行き着いたともいえるのです。それはエンドウ豆が遺伝の法則を明らかにする上で多くの利点を備えていたからです。例えばエンドウ豆にはその形態において様々な変異が存在していたことが上げられます。メンデル自身はどの程度扱う生物に対して考慮したのか定かではありませんし、たまたま様々な変異を持ったエンドウ豆が手元にあったから、逆にその遺伝の法則を知ろうと考えたのかもしれません。どちらにしろエンドウ豆を選んだことは非常にラッキーであったことは間違いありません。
 この例に限らず生物学では知りたい現象を明らかにする上でどの生物を用いたら効率良く研究ができるかが考慮されてきました。特定の生物に多くの研究が集中することで深い理解が短期間に得られると言う点も重要です。このことは個人レベルでもいえます。絶えず研究対象を変えていたのではその度に一から研究を出発させなければなりません。1つ生物と決めそれに集中することで知見、技術なども蓄積しより効率的に研究を進めることが可能となるのです。
 いくつか古典的な生物材料を上げてみましょう。ウニに代表される海産無脊椎動物は発生学の材料として好まれてきました(発生学とは簡単にいうと卵からどのように親になるかを知る学問)。そのメリットとして時期の揃った受精卵が大量に得られることが挙げられます。そして大きく透明な受精卵を通してダイナミックな発生の過程がスピーディーに進行するさまは、見た人を虜にするそれは魅力的な風景です。神経生理学の分野ではイカがよく用いられていました。これはひとえにイカの神経が巨大であることにつきます。神経とは情報伝達細胞、イオンが出入りすることで電位差が発生しそれで情報を伝達します。こうした機構を研究する上で神経細胞に電極を刺し電位差を計ることは必須です。そのためには細胞は大きい方が良いのです。生化学など生物を分子の集合体として扱う学問では均一な細胞が大量に集まることは非常に重要な要請となります。こうした物量面で有利さを発揮する対象生物とは異なる側面が重要視される研究もあります。
 遺伝学の分野では時間軸に沿った変化が対象となり世代時間が短いということはそれだけ結果が速く得られることで有利な条件となります。当然、世代を超えて容易に飼育が可能なことも条件となります。こうした生物としてショウジョウバエが挙げられますが、さらにその特性を突き詰めたのが大腸菌であり、さらに大腸菌に取り付くウイルス、つまりファージなどです。大腸菌は1つの細胞が20分で分裂し倍々に増えていきます。分子遺伝学、分子生物学といった生物学の革命的な進展も大腸菌なくしてはあり得なかったといえます。
 基礎的な生物学上の興味と並んで、応用的な目的からも様々な生物が研究対象とされてきました。農林水産業といった一次産業の主体は生物資源の利用に他なりません。そうした産業の進展を目的とした学問分野では対象生物も多岐にわたります。ヒトの繁栄の歴史は生物資源の利用の拡大の歴史とも捉えることもできるのです。様々な作物、品種の開発、その健全な育成、病気からの防御などに多大な研究が行われ、役立ってきました。医学、薬学などヒトの健康を目指す学問分野においてもヒト以外の生物種をあつかった研究を役立てようということが行なわれています。ヒトも生物の一員であり生物学一般の知識の増大がヒトの健康増進に役立つのは当然のことでもあります。

(2013. 4. 3)